2018-04-18 第196回国会 参議院 資源エネルギーに関する調査会 第5号
また、戦後には、一九五四年にはビキニ被曝で改めて核の恐ろしさを認識させられました。そして、ちょうどその頃、国内では原子力発電所の整備が始まり、そして一九六六年に日本で初めての商業用原子力発電所である東海発電所が稼働し始めました。原子力の平和利用が始まったということでございます。
また、戦後には、一九五四年にはビキニ被曝で改めて核の恐ろしさを認識させられました。そして、ちょうどその頃、国内では原子力発電所の整備が始まり、そして一九六六年に日本で初めての商業用原子力発電所である東海発電所が稼働し始めました。原子力の平和利用が始まったということでございます。
○政府参考人(長谷成人君) 昭和二十九年のビキニ環礁における核実験の際に、その周辺海域で漁船に対して操業停止等の指示を行ったかについて調査いたしましたけれども、その指示の有無を裏付ける資料は発見されておりません。
ビキニの核被災についてです。アメリカが一九五四年に太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で日本の漁船一千隻が被曝した問題で、山本有二前農水大臣には、八月、高知県の関係者に会っていただきました。これは感謝いたします。そして、記者会見で、県が健康被害、健康不安に寄り添う形で様々な施策を展開している、国が県に支援できればと思っているというように言われたわけです。国の支援も是非お願いしたいと思います。
先ほど先生の方からございましたように、平成二十六年十月十六日の国会答弁を踏まえまして、農水省におきましてビキニ環礁での核実験に関する資料を再度調査したところ、新たな資料を発見いたしまして、平成二十七年二月に先生に、紙委員に当該資料をお届けしたところでございます。
○国務大臣(山本有二君) ビキニ環礁での核実験による人的被害等に関して、先生御指摘のように、昭和三十年一月四日に、米国から慰謝料を受諾することについて閣議決定をされております。さらに、同年四月二十八日に、被曝補償費の配付について更に決定をされております。これらに基づいて補償が行われたというように理解をしている次第でございます。
ビキニ被災問題というのは、これ日本だけの問題じゃありません。核実験をしたアメリカを含めて世界中で今大きな問題になっているわけです。今年はちょうど、先月ですけれども、三月にニューヨークの国連本部で核兵器禁止条約の交渉会議が行われて、今度六月にも再開されるというふうになっています。
○福島みずほ君 確かに、あのビキニの件や様々な点でお世話になったことを思い出しましたが、今回も是非やってください。 というのは、養育費は養育費、児童扶養手当は児童扶養手当、両方ちゃんとやらなければならない。年収が、平均年間就労所得百八十一万円のお母さんは、やっぱり毎月払ってもらった方がいいんですよ。どうですか。
今ちょうどお話もありましたように、アメリカ軍がブラボー作戦という作戦で、マーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を行いました。そのときに、約百六十キロ東方の海上にありました第五福竜丸が被曝をいたしました。そのときの乗組員が二十三人被曝をして、亡くなられた方もいらっしゃいます。これは広島型の原爆一千個分に値する十メガトンと言われております。
まず冒頭、ビキニ環礁の被曝の問題について、この厚生労働委員会で何度か質問してきましたけれども、先日、十月二十一日、質問して、黒塗りのところを白くしてくれ、公開してくれというふうに申し上げました。早速それは聞いていただきまして、昨日、白塗りで出てきて、白血球、赤血球やいろんな数値が一応出てまいりました。
しかし、これらはビキニ水爆実験関係の重要な書類でございまして、より慎重に対応すべきであったと考えております。 当該文書は、元来、厚生労働省が作成したものでありますので、外務省から改めて入手して、開示することを含め、また、その開示の内容も含めて検討してまいりたいと考えております。
前回、ビキニ水爆実験の被曝の問題についてお聞きをいたしました。尊敬する塩崎大臣は持ち帰ると言ってくださったので、その後どうなりましたでしょうか。
ですから、せめて厚労省の中でも、このビキニ環礁における大量被曝問題のフォローアップのプロジェクトチームをつくっていただきたい。これはいかがですか。
○政府参考人(中村吉利君) 外務省が保有する行政文書を確認をいたしましたところ、一九五四年の三月、米国によるビキニにおける水爆実験の後に、我が国は米国との間で補償に関する協議を開始をいたしました。その過程で、補償額算出の検討のために関係省庁が作成をいたしました損害規模に関する資料を米国に提供していたというものでございます。作成元は関係省庁ということとなってございます。
御指摘をいただきましたように、昭和二十九年、ビキニ環礁での核実験がございまして、厚生労働省では、ビキニ環礁近海で操業していた漁船につきまして、漁船員、漁獲物、船体の放射能検査を行っております。
次に、ビキニ環礁の被曝の問題についてお聞きをします。 というのは、一九五四年、ビキニ環礁、そして、このときに実は千隻の船、二万人近い日本人の人たちがここを実は行き来していた。福竜丸の展示館にも行きましたが、福竜丸だけではありません。 六十年前、米国には外務省から資料が行っていた。そして日本では、国会の中で質問されても、資料はありませんと言っていた。
ビキニ被曝の問題について質問いたします。 太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で一九五四年三月一日にアメリカが行った水爆実験で第五福竜丸が被災したことは多くの皆さんが知っているところです。しかし、アメリカが当時六回にわたって行った水爆実験で第五福竜丸以外の多くの日本の漁船と漁船員が被曝したことは余り知られておりません。
そして、ビキニ水爆実験による直接被害に関する件、これ、昭和二十九年の五月一日、水産庁というマル秘文書や、ビキニ灰による乳の汚染、それから農作物の汚染に関する調査、これ農水省の技術の研究所が出しているんですけれども、こういう文書も含まれているわけですよ。
○政府参考人(本川一善君) 今年一月に情報開示請求を受けまして、我々調査をいたしましたところ、情報開示請求としては、一九五四年から六〇年までに水産庁で作成したビキニ核実験に関連する文書一覧、一式というのを要求をいただきまして、保存年限は当時二十年、今で三十年でございますけれども、水産庁の倉庫に残っておるかというのを調査しましたところ、まさにおっしゃるとおり、ビキニ被災事件に伴う賠償措置の経過についてという
ことしはビキニ被災から六十年の年でありますけれども、まさにそういう年でもあり、来年、七十周年という被爆の年を迎えようとしている。今こそ、日本政府が根本的にこの態度を改めるということを強く求めていきたいと思います。 次に、沖縄県名護市辺野古での新基地建設問題に関連して若干質問いたします。
そういうことの認識と、同時に、その中で大熊町の消防団の方が、地震の直後と爆発の二度、死を意識したということを松本さんがおっしゃいまして、その上で、あのビキニ被曝の久保山愛吉さんの言葉を紹介されて、「私どものようなこういう悲惨な経験をした者は最後にしていただきたい」とおっしゃいました。私はやはりここに尽きるのではないかと思うんですね。
われておりましたころから、こういう放射性物質の影響をフォローするために日常食の検査というものをなさっていらして、それは長い目で見てトレンドがわかりまして、当初高かったものがだんだん落ちてきて、非常に落ちてきて、今回の福島事故でまた一番高かった時代くらいに上がってしまっているということで親御さんの不安も強いわけですが、でも逆に、そうやってモニターしてきたからこそ、ああ、このときくらいだわね、あのときのビキニ
それから、第五福竜丸のビキニ環礁の水爆実験ブラボーによる被害、大体ブラボーなんという名前を付けること自体が不謹慎ですよ。さらに、平和的な核エネルギーと言われながらも牙をむき出したジェー・シー・オー事故、東京電力福島原子力発電所の事故等々、核エネルギーという意味では同根ですよね。
御承知のように、太平洋上のビキニ環礁での第五福竜丸事件を契機として、国民の放射線の影響等への関心の高まりと、放射線の医学的利用に関する研究の必要性への認識の高まりを背景として、一九五七年に旧科学技術庁所管の研究所として設立されました。
すなわち、今騒がれているセシウムは、私どもに降り注いだ広島の原爆と、その後繰り返されたビキニの核実験とチェルノブイリと、そして今回の福島原発事故で空気中にばらまかれ、土の中に沈着し、海の中に汚染を引き起こすということを繰り返してきたものであります。
それに同行されたのは、ビキニやチェルノブイリを知る放射線量測定の大御所、八十四歳におなりになる岡野眞治さんでありました。
第五福竜丸事件、これは私どもがまだ生まれる前に起きたビキニでの水爆実験における被曝でございますが、これは、まだアメリカ政府は公式には、これがいわゆる核実験の影響であるということを当初認めてはいませんでした。大気中の核実験は多くの被曝者を生みました。その後、地下核実験が主になってからも、核実験の影響は高度の軍事上の機密でもありますことから、ほとんど明らかにされていません。
一九五四年のアメリカによるビキニの水爆実験をきっかけに、全国の地方自治体で、原水爆禁止の決議運動の進展を背景にしまして、八〇年代以降、いわゆる非核自治体の宣言の運動が急速に進行をいたしました。これは、私は、我が国の自治体が新たなこの非核平和に関する行政施策を編み出して、それを現代の自治体行政の一形態として位置付けてきたというふうに思います。
そこで伺いたいと思いますが、かつてビキニ水爆実験で被曝した第五福竜丸のように、今後、広く国民の目に触れられるような場所に、国民に公開すべきだと、展示して見せるべきだと、こういうふうに思っているんですけれども、このことについて、いかがでございましょうか。
一九五四年、昭和二十九年の三月一日、ビキニ周辺の公海上でアメリカの水爆実験で被災した第五福竜丸、これは母港が私の今の選挙区でございます焼津でもございます。終戦直前の広島、長崎で被爆された方々のことももちろん決して忘れてはなりませんが、平時、しかも全く落ち度のない漁師の方々がアメリカの水爆実験の犠牲となったということは、当時の日本国民にとって大変大きなショックであったかと思います。